2015年10月28日水曜日

7. 信夫郡庭坂村温泉場の開設の事


    庭坂宿は、李平宿、板谷宿を経て米沢城下に達する、米沢街道の交通の要地であった。
   住民の多くは荷物の運搬を業として生計を立てていたが、栗子トンネルを通る「万世大路」
   が明治14年10月(1881)に開通すると、人や荷物の行き来がにわかに減り住民の多くは
   失業し、村は衰頽したが、これを救済する良策もなく困っていた。同17年、信夫郡長 柴
   山景綱は高湯の温泉を庭坂に引湯し、湯町を開いて繁栄をとりもどそうとした。
    「柴山景綱事歴」(史談会速記録)を要約すれば、部下が言うには庭坂地内に高湯とい
   うすこぶる効き目のある温泉があるが、高く険しい山間にあるので入浴客は行き帰りに苦
   労した。更に冬は積雪が道路を埋めて通行ができなく、人々は残念に思っていると話を聞
   いた。当時、柴山景綱は福島市街の道路修理、郡役所の増築、霊山神社の社格の請願、伊
   達郡の蚕業の改良等幾多の仕事が一時に集まり、他の事を顧みることができないほど忙し
   かった。
    その後、景綱は痔を患い医者に診察してもらい治療をしたが、なかなか治らず、席に座るこ
   とも椅子によりかかることもできず、ただ横たわっている以外よい方法がなかった。「高湯
   の温泉に入浴してみたら」と人に勧められて、4〜5日湯治をしたが少しもよくならず、医者
   を招くにもあまりにも遠方でどうしようもなく、連続入浴すること15日ばかり経った頃、痛
   みも去り、腫れもなくなり温泉の効果があったことを知った。
    この温泉の湯を庭坂に引き、浴場を開いたら病者も容易に温泉に浴し、老人も子供も相携
   えて来浴が便利になるとして、宿の主人に「浴場第一の場所を提供するから1〜2元湯を分
   与してほしい」と願ったが、主人はそれを聞き入れなかった。景綱は福島に帰り郡書記の徳
   江末晴に相談した。末晴は直ちに高湯に赴き、各方面に分湯を説得した。湯元と官山(官有
   地)より出る湯があり、其の2〜3を分湯することを承諾させた。

    この間の事情について、「高湯温泉400年史」には「三島県令は土木官吏といわれるだけ
   あってお湯の権利に精通していました。高湯温泉の西方の隣接地にある湯花沢温泉は温泉が
   湧き出ている場所が7ヶ所あります。このうち温度も高く、湧き出る量も多いのは三番温泉、   五番温泉、六番温泉で、地租改正にあたって法的な手続きがとられていなかったので、運悪
   く官有地のままでした。そこに目をつけた三島は、郡書記の徳江末晴の名義に払い下げたの
   です。そして、温度が高い高湯温泉の瀧の湯に、湯花沢温泉の三番温泉を混入し、それを引
   湯したのです。法律的には抵抗のしようがありませんでした。しかたなく、涙を呑んで三島
   の意向に添うことになったのです」と述べられている。

    これにより村民にはたらきかけ、その賛成を得てついに資金2万円有余円を醵出し、明治
   18年5月7日に起工することになった。数日間山間に在り、上に登り下に走り大変苦労をし
   て吾妻岳の半ばの腹原湯より北麓の沢地に沿い、ようやく木桶を敷設した。庭坂宿に近付く
   と天戸川を横断するのに百間余の筧を架した。ここから数カ所の浴場に分派した。一つは、
   10畳、4畳の浴槽2ヶ所、滝3本にそそぐ。一つは、8畳、4畳の浴槽、滝4本にそそぐ。その
   他、浴槽数個を設けた。
    総延長8.5km、このうち5.8kmは、長さ1.8m、縦0.21mの生松の彫抜き樋を用い、それ
   以外は土管を使用した。この工事に要した福島町・郡の費用は25,000円余、うち8,000円
   は庭坂村、17,000円は郡長・戸長の負担といわれる。
  
    福島市史別巻Ⅵ「福島の町と村」(P.567)によれば、割石付近の旧水路筋に、北西から
   南東へ長さ500m、 幅109m、中央に18mほどの街路をはさんで、計72区画の宅地を設定
   した。うち、一区画は北端の共同館用地で5,840㎡。各区画は一定していないが間口11m、
   面積500㎡のものが多い。西側に三つの共同浴場、南部に貸座敷営業地を配置したとある。

    大通りの両側に三尺ばかりの溝渠を穿ち下水を通す。名付けて柴山街と言った。新たに
   共同館(内湯あり、広さ28畳ばかり)、北川屋、米沢屋、廣淋樓、瀧ノ湯、丸本屋、錦屋、
   坂田屋、玉屋、庭田屋、熱田等を開き、浴室を設け加ふるに青樓、押野樓あり、また旧来の
   民舎あり寺院(清水寺)があり、10月になって工事は完了する。

    10月22日、湯町の共同館で引湯と庭坂新道との開通を祝う式典が行われた。県官のほか
   黒田清隆内閣顧問、前県令の三島通庸、奈良原繁日本鉄道社長、折口山形県令らも臨席して
   盛大に催された。
    高湯温泉の湯は地中より来て数カ所の浴槽に湧き、温泉の評判が広く世間に言い伝わり、
   近郷近在はもとより遠来の客でにぎわった。人や物流が日に日に増して、昔のような繁栄を
   取り戻し、明治21年には庭坂駐在所も新築された。
    しかし、土管の湯樋はまもなく破損して、硫黄分を含んだ温泉の漏水により田畑の農作物
   に被害を及ぼした。補修も大工事で湯町の宅地や建物を抵当に数カ所の銀行から融資を受け
   た。いかに庭坂村が助成しても資金に困難をきたした。補修がおぼつかなくてお湯が漏れて
   飲料水にまで混入したり、引湯による温度の低下は温泉の効能を弱めることになり、入浴客
   も足が遠のくようになった。湯町は明治31年に引湯を完全に中止閉鎖され、以後は衰退の
   一途をたどった。

      現在の湯町の町並み
         昔の歓楽街の面影はまったく無くなっている。まっすぐな大通り
        が一本あり、両側は住宅が並んでいる。その突き当たりに共同館が
        あった所と言われている。
           以前には、庭坂の繁栄の“証人”の芝居小屋、映画館だった「天戸座」
        の今にも崩れ落ちそうな大きな木造家屋があった。今は防災、景観の
        ためか撤去され更地になっている。
 





     湯桶渡し跡
        清水原地内には、明治18年5月より同31年まで、8.5kmを引湯した
       ときの、天戸川を渡す木樋支えの石積みの一部が左岸の庭坂発電所の
       近くに残っている。
        「垣に残るはただ葛」でよく探さないとわからない。また、右岸(上
       古屋地内)の林の中には土盛りが残っている。これは湯町引湯を証明
       する唯一の貴重な遺跡である。




          なお、右岸の吾妻林道脇に、吾妻地区郷土史談会が建てた「引湯懸樋
       (もちこし)台石積」の標柱がある。標柱の右側面には「明治18年、時
       の信夫郡長 柴山景綱は、高湯温泉より信夫郡庭坂村湯町に引湯を企て、
       村民を勧起し、同年5月27日起工、同年10月25日竣工した。その経費は
       2万円余であったと言われている」と記されている。
        高湯温泉全図には、右岸にも石積みが描かれているが残っていない。右
       岸にある石垣は吾妻林道のものである。


      現存する木樋
         高湯温泉のドライブイン清水屋に当時使用された木樋が保存されている。





   


    庭坂宿と湯町の余録

     『庭坂宿と湯町の昔と今』(福島市文化財ボランティア養成講座4班成果報告)
      山形県令であった三島通庸は、明治15年12月25日兼任 福島県令として着任し、
     県内の郡長とともに信夫郡長 山田民弥を罷免し、代わりに義兄の柴山景綱を郡長
     に登用して三島県令の片腕として辣腕を奮わせた。
      翌年、福島・栃木両県の県令となって君臨する三島県令に、郡長 柴山景綱は庭
     坂に繁栄をもたらす施策だとして湯町の開設を要請した。(一説では柴山郡長は
     痔疾があり、高湯の湯治に効力があることを知って、権力にものをいわせて引湯
     を計画し、村民を総動員して着工完成させたものとも言われている)
      
      三島県令は明治17年11月21日に内務省三等出仕(土木局長)に任命されるが、
     その2日前に置き土産のごとく湯町開設の許可を出した。
      ただちに工事は着手されたが、計画的に造成される湯町の地は、傾斜した山林
     を切り開き、長さ500m・幅18mの道路を中央に配し、湯町北端正面に共同館、
     高湯から引湯した3ヶ所の共同浴場、貸座敷営業地など72区画が計画され、そこ
     に県令・郡長の別荘の計画もあったと言われる。高湯からの引湯工事は延長8.5
     kmで、このうち5.8kmは、径7寸の松の彫抜き樋を繋いで用い、他は土管を使用
     した。湯町の建設工事は郡営工事として行われ、これに要した費用は8,000円が
     村負担、郡長・戸長が17,000円の負担で、計25,000円余であったとしている。



       参考文献
         1. 「柴山景綱事歴」   史談会速記録
         2. 「福島市史」 4   福島市教育委員会
         3. 「福島市史」 別巻6 福島市教育委員会
         4. 「高湯温泉400年史」 高湯温泉観光協会
         5. 「福島市文化財ボランティア養成講座(4班成果報告)」 


 

      
     
     

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